要約
- 新型コロナウイルス(COVID-19)により2020年から延期になった東京オリンピック
- 2021年に行われることになったが、緊急事態宣言といって特定の業界をいじめていながらオリンピックが行われる
- スポーツは皆のものだと思っていたが、上手い者の特権だったようだ。
- オリンピックは文化的な行事だと思っていたが、あったのは文化ではなくカネと政治
- 1964年にできた10月開催もできない、上記のような有様でこの文明はもはやおしまい
1964年に日本はオリンピックをやっている。その時は日本の気候に合わせて10月に開催した。体育の日は10月10日だった。オリンピックの開会式がその日にあったからだ。
2020年、再びオリンピックをやるときには、1964年でできた10月ではなく、7月に開会式を行うことになった。どうやらカネと政治の問題のようだ。これからひどく暑い夏がやって来るのに、1964年にはできたことを2020年にはできなかったというのは愚かとしかいいようがないのではないか。歴史から学ぶことを怠ったのだ。
トロッコ問題という、「そのままでは5人死ぬが、分岐の切り替えを行えば1人が死ぬ」という問題の答えに対して、オリンピックは「誰も責任を取りたくないから分岐の切り替えをだれも行わない」という答えを出してくれた。よかったな、トロッコ問題の答えがわかったぞ。
ここまでオリンピックを行う状況ではない、ということが日本のみならず世界の認識なので、ソーシャルネットワーキングサービスでは選手本人に対して辞退を求めるということまで行われた。それは愚かな人類が見せた醜悪なあがきだ。愚かでしかない。マリオネットに叫んでいることにもわからないのか。
しかし、オリンピック選手が「スポーツを楽しもう」と言っても、もはやスポーツの上手な人の特権であることがわかったからには、「スポーツは楽しむものではなく、勝つもの」であることもわかったから、もうその言葉は信じないだろうな。
不幸にも生まれてしまった子孫たちへ。このように、人類は劣化しました。滅んだほうがいいです。2021年の愚かな人間からは以上です。